陰キャぼっちの自己紹介と陰キャの思想
「Mocha Blog(モカブログ)」を運営してるMochaです。
こんな自己紹介ページまで来て下さり、ありがとうございます。
少し重い話もありますが、ぜひ最後まで読んでってください。
Mochaってどんな人?
まず、軽いプロフィールを紹介します。
名前 | mocha(モカ) |
---|---|
年齢 | 20 |
性別 | 男 |
職業 | 学生 |
彼女いない歴 | 20年 |
友達の数 | 2人(疎遠) |
という感じですね。
現在陰キャのぼっち大学生活を満喫中です。
友達の数は表の通り、2人ですが疎遠ですね。
ちなみに、LINE友達は3人(家族を合わせて)です。
【LINE友だち3人】この1年で人との関わりを断捨離してみた - Mocha Blog
ここ数ヶ月くらい、店員さんと家族を除く人間と会話してない気がしますね。
まぁ、そんな感じの陰キャぼっちです。
ちなみに、この猫のアイコンは自作です。
断然猫派なので。
そんな筆者ですが、少し悲しい黒歴史があるんです。
Mochaの黒歴史
私は見た目や性格が暗く、コミュ障だったため、いじめのターゲットにされてました。
その頃は本当に、「死」という言葉が隣にある感覚でしたね。
小学生▷▶︎▷▶︎低学年の頃は普通のこどもだったが、学年が上がるごとにいじめの対象に。
中学生▷▶︎▷▶︎サッカー部に入るが下手すぎてベンチ外。いじめも継続中。
高校生▷▶︎▷▶︎いじめは収まるが、友達は一人もいない完全なるぼっち。この頃のLINE友達12人(家族含む)
という感じです。
小2から中3までの7年いじめを受けていた影響で、人が嫌いになってますね。
特に、小学生の頃のいじめは酷く、学年のほとんどが私の敵でした。
皆が私に攻撃するんです。
学年は約40人くらいいましたが、その内30人は私を嫌ってるんです。
本当に、気が狂いそうになります。
陰キャで感情表現が嫌いな私は、まるで汚物のように扱われて、触るだけでも嫌悪の表情を浮かべられてしまうような有様です。
友達のいない私には当然、仲間はいません。
筆入れの中の鉛筆は折られ、ランドセルは彫刻刀で切り刻まれ、4~5人に取り囲まれて暴言と暴力を浴びせられるなど、色々ありました。
汚物のように扱うくせに、人のもの勝手に触るなよ。
でも、これよりも辛かったのが、親に文房具の減りが早いと指摘されたことですね。
心臓をバクバクにしながら「なくした」って、苦し紛れの嘘をつくのがかなり堪えますね。
鉛筆はすぐに折られて使えなくなるので、異常に減りが早いんです。
それを嘘をついてまで誤魔化すのがどんなに辛いか、惨めなのか、いじめた人には分からないだろうな。
しかし、いじめを批判する声の中には「嫌なことを嫌と言えないからいじめられるんだ」という意見もあります。
「いじめる側よりもいじめられる側に問題がある」という考えの人の意見ですね。
ですが、私が嫌と言っても「聞いてくれる人」はいませんでした。
いじめている当人たちに言っても、バカにしながら嗤うだけ。
先生に言っても、「気にしなければいつかは収まる」と無責任なことを言うだけ。
親に言ったら、「情けない」と怒りながら辺りのものを投げつけてくる始末。(これが嫌でいじめられてるのを隠すようになった)
いじめられてると言っても何も変わらず、黙ってたら「嫌と言えないお前が悪い」と言われる。
どうしたらいいんだよ。
そんな経験をして辛すぎたので、お守りとしてランドセルのポケットにカミソリを入れて持ち歩いてました。
このお守りは私の気持ちを楽にしてくれました。
「これでいつでも死ねる」
そう思うといくらか気分は楽になったんです。
私の頭の中には、「死」という言葉が常に彷徨いてました。
今思うとヤバいですね。
小学生のことですからね。
友達など縁がない、という感じの学生時代を送っていました。
ですが、私には「ある思想」があるんです。
それはまるで夢のように、ふわふわしてて、漠然としてる恥ずかしいものなんですけどね。
それがあったから、今はなんとか生きていけてるんだと思います。
これからその「思想」についてお話します。
Mochaの思想
今の世の中って、陰キャへの風当たりが強いとおもうんですよね。
今の社会はコミユニケーション能力だとか、チームワークだとか、リーダーシップだとか、陰キャと呼ばれる人が持ち合わせてないような能力を優遇しているように思えます。
確かにこれらの力は、社会に出ると必要かもしれません。
ですがその結果、陰キャはゴミクズだとか無能だとか言われて批判の対象となってるんです。
社会が無意識的に、この「はぐれ者」を排除しているんですね。
でも、陰キャは陰キャにしかできない才能があって、陰キャにしか分からない価値観があって、陰キャしか知らない経験があるのも確かです。
これは紛れもなく、その人の財産で、宝で、素晴らしいものだと思うんですよ。
そんな財産をもってる人間が、ゴミクズな訳がない。
つまり、すべての人間はすべからく理解されるべきで、排除の対象ではないんです。
特定の人間の個性を殺してしてしまうような社会に、未来はありません。
まぁ、綺麗事に聞こえますよね。
ただ、綺麗事をブログという「目に見えるかたち」で発信することで、人との接し方を考え直すキッカケになればなぁ、と思います。
ここで、ひとつ質問をさせてください。
漠然とした質問ですが、軽く考えてみてください。
あなたは人間関係のなかで、人を傷つけたことがありますか?
「人の気持ちなんて分からないからな...」
「いつも人には優しくしてるから大丈夫!」
など、いろいろな考え方があると思います。
もしも、「少し心当たりがあるな、、」っていう人は「人の辛さを分かる人」です。
このような人は、実は優しくて人から信頼されるような人でしょう。
問題があるのは「自分は大丈夫」という人です。
このような人は自分が無意識に人を傷つけていても、気づかない人かもしれません。
人は生きているうちに、必ず誰かを傷つけます。
それをどのように向き合うかが、その人の本質です。
あなたはこれを聞いて、どうしようと思いましたか?
綺麗事を成し遂げるためのブログ
「すべての人間は理解されるべき」という綺麗事を宣いましたが、それだけでは足りません。
「思想」には「行動」が伴います。
先程述べた考えを現実にするにはまず、「陰キャという人間の誤解を解く」というのが大切だと思うんです。
そこで「Mocha Blog」では、陰キャに親しみを持ってもらえるような記事を投稿しています。
ブログ内では、陰キャやぼっちといったマイナスなイメージの言葉を連呼してますが、クスッと笑えるような内容というコンセプトで書いてますので、よければ見ていってください。
このブログで、人への接し方や寄り添い方を考えなおすキッカケになればなぁ、と思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。